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デヴィッド・ピアソン氏へプチクエスチョン
「日本での最高の食事は?」
今週訪れた「Les Créations de Narisawa」でのディナーです。なんという経験。なんという冒険。どの料理も驚きがいっぱいでした。とても美味しくて、クリエイティブで。成澤シェフの料理との出会いは、ワインづくりに携わる者にとって大変貴重な体験でした。
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2011.07.27
「オーパス・ワン」と言えば、ワイン好きであればおそらく誰もが一度は耳にしたことがあるトップワイナリーのひとつである。カリフォルニアとボルドーのワイン界を代表する2大巨頭、ロバート・モンダヴィ氏とバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルド氏の極めて稀なジョイントのもとに生まれたこのワインは、味わいの素晴らしさ、ヴィンテージの希少性など、1979年の誕生以来、数々の伝説を生み出してきた。その「オーパス・ワン」社が、2011年6月に東京オフィスを開業。東京でのアナウンスメントのために来日した同社CEOデヴィッド・ピアソン氏が、知られざるブランドストーリーを交えながら、「オーパス・ワン」の魅力を様々な角度から語り尽くす。
―“オーパス”というのはラテン語だと聞いています。「オーパス・ワン」という名前はどのようにして選ばれたのでしょうか?
〝ご存知の通り、バロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドとロバート・モンダヴィのふたりが出会い、「最高のクオリティを持つ世界唯一のワイン」をつくるための一大プロジェクトが立ち上がったのですが、そのワインは、フランスとカリフォルニア、ボルドーとナパバレー、2つの家族が育んできた歴史・文化が完全に融合し、表現されているものでなくてはなりませんでした。名前はそれを示す大切な基盤になるわけですから、プロジェクトがスタートしてから何年もの間、このワインには名前がなかったのです。当時つけられていた仮の名前は『Napa-Medoc(ナパ・メドック)』でした。
そんなある日、バロンがロバートに電話で、「いい考えがある」と提案した名前が“オーパス”、ラテン語で「素晴らしい仕事、偉大な音楽作品」を意味する言葉でした。2人とも芸術や音楽に造詣が深かったので、ロバートも「良い名前だ」と同意したのですが、「でもまだ完全ではない」と。それから2日後に、“オーパス”に“ワン(唯一の)”という意味を加えた“オーパス・ワン”という名前をバロンが提案し、この名前に決まったのです。〟
―最初は『Napa-Medoc』という名前だったとは驚きました!
〝とても興味深いストーリーですよね。振り返ってみると、1978年、バロンのベッドルームで話がまとまってから最初のワインが発売されるまで、2つのファミリーが共にワイン作りの知識と才能とテクニックを結集させて、1つのワインをつくりあげるというプロジェクトは実現されたことがなかったのです。ですから、あらゆるプロセスを通じて、すべてが新しい試みでした。最初のヴィンテージが一般に公開されたのは1981年。ナパバレーで開催された初のオークションでのことです。当時はまだ例の「Napa Medoc」でしたが、周囲の期待はすでに高まっており、1ケース24,000ドルで競り落とされました。カリフォルニアで生産されたワインとしてケース単位では最高価格でした。〟
―「オーパス・ワン」がそのスタイルを変えたターニングポイントと考えられるヴィンテージは何年ですか?また、どのように変わったかを解説していただけますか?
〝良い質問です。でも、実はプロジェクトを成功に変えたと言う意味で特定すべきヴィンテージはないのです。あえて言うならば、1979年はコンセプトとプレゼンテーションにおいて大変飛躍的な進歩を遂げた年です。今現在にいたるまで保存状態がよければ素晴らしい熟成を遂げて見事なワインになっていると言えるでしょう。でも、1979年はまだ「オーパス・ワン」のプロジェクトが始まったばかりで専用のワイナリーが無く、実際にはロバート・モンダヴィ・ワイナリーの醸造所を使っていました。 〟
ターニングポイントとして挙げるなら、1991年です。1991年は「オーパス・ワン」が自分たちの専用ワイナリーで生産された最初のヴィンテージになります。80年代になって、互いのファミリーは「このワインは成功する」と確信し、このワインを表すために80年代を通じて壮大かつ画期的なワイナリーを完成させるために心血をそそぎました。私自身もぜひ味わってみたいと思っているのですが、94年〜97年はどれも素晴らしいヴィンテージで、この間に今ある「オーパス・ワン」のクオリティは形成されたと言えます。畑のテロワールをしっかりと表現しつつ、フランスワインの口当たり、スタイルは残している。1991年はずっと模索しつづけてきたブレンドのバランスを見つけた年。ですから、この年は私にとってもターニングポイントにもなりました。
さらにもうひとつ挙げるならば、2001年でしょう。この年は、2つの家族がワインづくりに関わらなかった最初のヴィンテージになります。彼らは新世紀に向けて、「オーパス・ワン」はもっと独立する必要があると判断したのです。〟
―「成長して、両親のもとを離れる」ということですね?
〝その通り。その表現は、私たちが抱いているイメージそのものです。オーパス・ワンはロバート・モンダヴィとバロン・フィリップ・ド・ロスチャイルドによって生み出され、様々な経験からいろいろなことを学びました。私たちの狙いは、事実“両親”のようになることですが、それは同時に“子供”が自分の人生と表現力を持つことを意味しています。
2つのファミリーは、「オーパス・ワン」が自分たちの目指していたポイントに達したことに気付き、ここから先、“子供”は家を出て自分だけの時間を持ち、自身で自分を見つける必要があると感じたのです。週末には両親と会い、いいアドバイスをもらうことができる。そんな良い関係も続いています。フランス式の概念と、カリフォルニアの取り組みを統合するために、2001年、「オーパス・ワン・ワイナリー」は醸造責任者にマイケル・シラーチを迎えました。以降、スタイルの変化を経て、そのクオリティは常に進化しつづけています。〟
―2007年のヴィンテージについて解説していただけますか?
〝2007年は素晴らしい年でした。もちろんそれぞれの年に特徴がありますが、近年、毎年違った挑戦と機会に恵まれています。特に2007年は8月までの夏の間の開花と成長が素晴らしく、9月初めの収穫が近づくとドラマティックな展開がありました。気温が急激に上昇し、その後、雨が降りました。ボルドーは雨に慣れていますが、ナパ・バレーの収穫期の雨は珍しいのです。その雨の影響で、収穫前に今度は気温が急激に下がり霜を心配する程になりました。熱と雨と霜。このヴィンテージにおいて、ワインメーカーは様々な点で注意を払い、的確な判断を下さなくてはならなかったと言えます。まず、早すぎず、遅すぎず、最高の状態でぶどうを収穫すること。化学分析ではなく直観と風味で決めなくてはならない。この年は新世紀において今のところ最高のヴィンテージではないかと多くのマスコミに取り上げられましたが、簡単な年ではなかった分、ワイナリーの醸造と栽培の両方の責任者たちの経験が生み出した努力の結晶とも言える味わいに満足しています。贅沢で濃厚でありながら、オーパス・ワンらしさを感じさせる柔らかく甘いタンニン、なめらかでエレガントで長い余韻も併せ持っています。〟
―ずっと以前、「オーパス・ワン・ワイナリー」が建設中だった頃のことですが、オーパスの人たちが地下の貯蔵室を掘ったら温泉が出てきて、冷房をかけなければならなくなったというニュースを聞いたのですが、温泉には具体的にどのように対処されたのですか?
〝「オーパス・ワン・ワイナリー」建設の伝説ですね(笑)。ワイナリー建設時にティム・モンダヴィが、現在の樽の貯蔵室がある場所に降りて行った際に、まるでサウナのような熱気だったと語っていました。私が「オーパス・ワン」に来たのは2004年、当時はまだナパに来たばかりでしたので、何人かと親睦のディナーがあり、そこにたまたま居合わせたナパ・バレーを研究する地理学者となぜか温泉の話題になったのです。そこで私は「ワイナリーの下に地熱の活動があるとか?」と話を投げかけたところ、地理学者は私を見て、「なんだって?」と驚きの表情。そこで、私はさらにその地熱活動について彼に問いかけたのですが、彼からは「あの場所での地熱活動はあり得ない」と真っ向から否定されました。そして、地熱活動説はそのままになりました。でも実際には建設中にいくらかの地熱活動があったようで、賢明にも温度調整と湿度調整装置を設置したのですが、それらは実際にはほとんど使われていません。〟
―東京にオフィスを開かれたとうかがいましたが、その具体的な目的はなんでしょう。「オーパス・ワン」をどのように東京でプロモーションされていきますか?
〝東京オフィス開設は「オーパス・ワン」にとって、とてもエキサイティングなことです。実は、アメリカ以外の国にオフィスを置くのは初の試みになります。それだけ日本のマーケットを重要と捉えている表れでもありますが、これを機に「オーパス・ワン」の名前をもっと多くの人に知ってもらえるかもしれない。カリフォルニア産ワインだと分かっていて、なぜこれだけ高く評価されているのか?という疑問を抱いている方は、このワインの背景にある情報を知らないかもしれない。いずれにしても、情報を提供することは大事だと思います。ただ名前を知っているから、いいワインだと聞いたら買ってもらうのではなく、人々に「オーパス・ワン」のワインづくりへの情熱や細部への配慮をもっと深く理解してもらうことは大事だと思っています。ワインを味わうということは、その背景に流れるすべてのストーリーを共有することでもあります。ですから、私が年に数回だけ日本を訪問することと、東京オフィスに常駐する人物を通じて情報を正しく伝え・売るのでは当然大きな違いが生まれるはずだと信じています。〟
デヴィッド・ピアソン
オーパスワンCEO。カリフォルニア生まれ。カリフォルニア大学デーヴィス校で醸造学を専攻し、フランスと南カリフォルニアでワイン醸造に従事する。その後、ヒューブラインに入社し、バロン・フィリップ・ド・ロートシールト社商品のセールス及びマーケティングを米国東海岸で担当。MBA修得後、ロバートモンダヴィ社がフランスのラングドックで試みたヴィションのプロジェクト代表として渡仏。7年後にカリフォルニアへ戻り、サンタバーバラのバイロン・ワイナリーのジェネラルマネージャーとなる。2004年、オーパスワンのCEOとして就任。ナパヴァレーのセントヘレナに家族5人で暮らす。趣味は家庭菜園。
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